ナヴァル・ラヴィカントという米国の起業家が、ブログやツイッターで語った内容をまとめた本です。
ありふれた自己啓発書ですが、科学と宗教を融合したような合理的仏教という考え方に共感を覚えました。
個人的に気になったフレーズをいくつか取り上げてみようと思います。
ナヴァル・ラヴィカントとは
本書を手に取ったとき、最初はアイン・ランドのジョン・ゴールトのように、架空の人物に語らせたフィクションではないかと思いました。
「シリコンバレー最重要思想家」「伝説の最成功者」という大げさな肩書が、いかにも怪しいです…
実際のところ、ナヴァル・ラヴィカントは米国の実在するエンジェル投資家でした。
自分も長らくベンチャー業界で働いていましたが、名前を聞いたことはなく、日本での認知度は低いと思われます。
ご本人は1974年にインドで生まれ、9歳でニューヨークに移住し、ダートマス大学を卒業しています。
インターネット・バブルの頃から起業家として活動をはじめ、2010年に始めた「エンジェルリスト(AngelList)」という投資家マッチングサービスが有名なようです。
ツイッターのアカウントは200万人以上にフォローされています。
こちらが当時話題になったという、一連のツイート(How to Get Rich)です。
How to Get Rich (without getting lucky):
— Naval (@naval) May 31, 2018
アイコン画像が『ペリフェラル』のコイドみたいで不気味ですが、名前を画像検索するとハンサムなインド人おじさんが出てきます。
映画『インフェルノ』に出演していた、イルファーン・カーンという俳優に似ている気がします。
本書の内容
最初にお断りしておくと、この本はナヴァル・ラヴィカントが直接書いたものではありません。
エリック・ジョーゲンソンというブロガーが、ナヴァルの言動をまとめたものです。
ほかの人が引用したナヴァルの発言も含まれていて、二次資料、三次資料…といえそうな伝言ゲームになっています。
ウォーレン・バフェットと同じで、信奉者が言行録をたくさん出していますが、本人は直接書いていないパターンです。
ナヴァルの発言は、ビジネス論・幸福論・読書術といった大まかなテーマに分けて編集されています。
しかし元ネタがツイートやインタビューから引用された断片的な文章なので、途中で話題が飛んだり、文脈がつながっていなかったりしています。
矛盾するような主張もあり、正直なところ読みやすい本とはいえませんでした。
ちなみに原題は”The Almanack of Naval Ravikant”で、ナヴァルの回顧録という意味です。
アルマナックといえば、ベンジャミン・フランクリンの”Poor Richard’s Almanack”、 チャーリー・マンガーの”Poor Charlie’s Almanack”のように、アメリカ人にとっては重厚な響きがあるのかもしれません。
無料で読める
この本は英語の原著も日本語訳も、電子版は無料で配布されています。
ブラウザ上で閲覧できるだけでなく、PDF、EPUB、MOBI形式のファイルも配布されています。
「金儲けのために書かれた本は信用できない」とい著者は考えているそうです。
既存のテキストを寄せ集めた編集版という事情にもよるのかと思います。
紙の本で読みたい方は、こちらからどうぞ。
自分は結構気に入ったので、線引き・メモしてスキャンしたPDFをたびたび読み返しています。
日本語訳の妙
原著と日本語訳を読み比べれば、英語の勉強にもなります。
有求皆苦 無求則楽
(求むること有れば皆苦なり。求むること無くんば則ち楽し)Tension is who you think you should be. Relaxation is who you are.
エリック・ジョーゲンソン『ナヴァル・ラヴィカント』(以下同)
このように簡単な英語が難解な仏教用語に意訳されているところもあります。
直線と曲線の対比が、TensionとRelaxation(緊張と弛緩)のイメージに対応しています。
ここは原文を参照しないと、挿絵の意味が理解できませんでした。
非許可型のレバレッジ
第一部、富を得る方法については、「レバレッジの効く資産を所有し複利で殖やす」とアドバイスされています。
また努力(Hard work)よりも判断(Judgement)を重視するという、マーケティング的な考え方も紹介されています。
間違った方向にレバレッジを利かせてしまうと、せっかく努力しても逆効果になるからです。
レバレッジの源泉として、非許可型(permissionless)のコードやメディアを選ぶべきというのがナヴァルの主張です。
これらのデジタルデータは複製コストがほとんどかからず、「限界費用ゼロで複製できる」という特徴を持っています。
一方で労働力(人を雇う)と資本(お金を集める)によってもスケールアップを図ることもできますが、これらは許可型(permissioned)の古いビジネスモデルとされています。
誰かに従ってもらったり、誰かに資金を提供してもらう必要があるためです。
インプット(努力・作業量)に対してアウトプット(売上・収入)が線形に伸びていく労働集約型の働き方では、人並み以上にリッチになることはできません。
また金持ち父さんのような不動産業も典型的な資本集約型(許可型)であり、前世紀のビジネスモデルとされています。
ナヴァルを含む新興富裕層が活用したのは、知識集約型の情報通信産業のなかでも効率よく稼げる、ソフトウェア開発やメディア事業です。
楽観的な逆張り思考家
ただ本書で提案されているブログやポットキャスト、YouTubeなどは、非許可型な代わりに参入障壁が低く、すでに過当競争におちいっています。
また今後ホワイトカラーの頭脳労働がAIに代替されると、肉体労働のほうが希少になり、かえって稼げるようになるかもしれません。
天然資源を独占する資本集約型産業も、21世紀に入ってまだまだ健在です。
ナヴァルの助言が今でも役に立つかどうかはわかりません。
「他人の許可を必要としない」という観点から、自由な働き方を提案している点はユニークといえます。
結局のところ商材やサービスに関わらず、「人と違うことをして競争を避ける」というのが、本質的なポイントではないでしょうか。
逆張り思考家はあまのじゃくとは違う――あまのじゃくは順応主義者の一種に過ぎない。
常識にとらわれず、かといってシニカルな皮肉屋にならないこと…
ナヴァルによれば、楽観的な逆張り思考家(Optimistic contrarian)というポジションがおすすめらしいです。
Nothing is Missing
第二部では、おもに幸福論や人生論に関する言説がまとめられています。
ナヴァルよる幸福の定義は、何も欠けていない(nothing is missing)、素の状態(default state)です。
お金であれ地位や名誉であれ、外的なものへの欲望をもたなければ、雑念が消えて心が静寂になるとされています。
またナヴァルは自由という価値観について、何かやりたいことを「する自由(freedom to)」ではなく、何かを強制されること「からの自由(freedom from)」のほうが好ましいとしています。
後者には反応・怒り・悲しみなど、自分の内面的な感情も含まれます。
これを読んで思い出したのですが、村上春樹は自己表現を「自分が何を求めているか?」よりもむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ヴィジュアライズすること、と説明していました。
本書で引用されているナシーム・ニコラフ・タレブも、「神は何ではないかを列挙し、消去法で話を進めていく」アポファティックな方法論(否定の道)について説明しています。
幸福や自由という概念は、何かを獲得することで満たされる「足し算」ではなく、余計なものを取り除く「引き算」の考え方によって、よりよく達成されるのかもしれません。
幸福と目的は両立しない
「何も欠けていない」という幸福状態を突きつめると、いっさいの欲望は自分を苦しめる原因になるとされます。
ナヴァルによれば、欲望とは「欲しいものを手に入れるまで不幸でいます」という契約を自分自身と交わすことです。
また何かしらの目的を持って生きること自体が、幸福ないし心の平安とは両立しないと指摘されています。
目的意識をもって未来のことを計画したり、過去のことを後悔すると、雑念が生まれるためです。
過去と未来だけではなく「今」という瞬間への執着も、妄想のひとつと考えられているのが難しいところです。
今この瞬間を満喫できるような経験を切望しても、切望するという行為そのものが、今この瞬間から私たちを引き離す。
物事には二面性や両極性があり、一方的にポジティブともネガティブとも言えないことがあります。
筋トレのように短期的な苦しみは、たいてい長期的な利益につながります。
一時的な不幸や逆境も、長い目でみれば成長のきっかけになることがあります。
人生はあるがままのものだ。それを受け入れれば、幸福になる理由も不幸になる理由もなくなる。幸福も不幸もほとんど意味を持たなくなるんだ。
究極的には幸福も不幸もなく、今この瞬間、ありのままの現実を受け入れることで、心の平安を得られるとナヴァルは説明しています。
「幸福の追求をやめることで逆説的に幸福が得られる」という禅のような教えです。
また瞑想のような宗教的なメソッドを取り入れつつも、科学的に反証可能なものだけ真理とみなす、合理的仏教(Rational Buddhism)という考え方が提案されています。
さまざまな精神哲学のなかでも、自分で試して検証できたアイデアだけ紹介するという、誠実な思想家だと思います。
瞑想は脳のデバッグ
ナヴァルの独特な言いまわしとして、瞑想の脳内過程をプログラミングのデバッグにたとえている表現が参考になりました。
「頭の中の独り言に気をつける」
「自分がより大きなプログラムのサブルーチンに過ぎないことに気づける」
といった感じで、雑念をステップ実行しながら意識(変数)の挙動を観察するイメージです。
すべては塵になる
人生の意味と目的という問いに対して、ナヴァルは「そんなもの存在しない」と答えています。
また人間の思惑とは関係なく、宇宙は熱的死に向かっていると話しています。
人間の活動とエネルギー消費はエントロピー増大を加速させていて、それがある意味、宇宙の目的であると解釈しています。
足跡なんてない。後世に残すべきものなんて何もないんだ。みんないなくなる。子孫もいなくなる。業績は塵になる。文明は塵になる。地球は塵になる。太陽系も塵になる。
お金儲けの話からはじまり、虚無的な達観で終わるという、謎の本です。
経済的独立を達成したのち、精神的な幸福について考えはじめると「そもそもお金は問題でなかった」と気づくパターンなのかもしれません。
謙虚な目標
ナヴァル自身は相当な読書家らしく、巻末にお薦め本リストが掲載されています。
科学やノンフィクションと並んで、哲学・仏教の本、SF小説が多く挙げられています。
個人的にこれまで読んできたものと共通点が多く、本書の内容に共感できる理由がわかりました。
老子とストア派など無為自然の思想に関する古典が多く、なかにはショーペンハウアーに言及されている個所もあります。
楽観的といいつつ妙に厭世的なコメントが多いのも、この本の特徴だと感じました。
価値観についてやたらと語ったり、自分をよく見せようとしたりする人は、何かを隠そうとしている。
皮肉ですが、この発言はナヴァル自身にも当てはまるように思われます。
本人は「深遠な真実はすべてがパラドックス」とも言っていて、数々の矛盾した主張に対するエクスキューズとも受け取れます。
悟りを開いた聖人ではなく、悩める修行僧といった雰囲気が、等身大のメンターとして魅力的に見える理由かもしれません。
そういう自覚もあってが、せいぜいのところ「自分がラットレースのラットだと自覚すること」という、謙虚な目標をナヴァルはかかげています。
引退の定義
ナヴァル・ラヴィカントの発言に説得力があるのは、起業家・投資家として経済的に成功してきた裏づけがあるからだと思います。
もしスティーブ・ジョブズが長生きしていれば、こういうふうに禅や仏教についてもっと語っていたかもしれません。
シリコンバレーの有名なIT起業家は、マインドフルネスに傾倒する人が多いようです。
ナヴァルはインド系アメリカ人ですが、兄のカマル・ラヴィカントも似たような経歴の持ち主で、スピリチュアルな本を書いています。
日頃、瞑想やワークアウトに精進して読書三昧というナヴァルの暮らしぶりは、FIRE後のロールモデルとして参考になります。
引退とは、ありもしない明日のために今日を犠牲にするのをやめることだ。今日がそれ自体で充実していれば、引退していることになる。
自分もそこそこお金を稼いだら早めに引退して、好きなだけ本を読んで過ごしたいと考えていました。
膨大なお薦めリストにそって読書を進めれば、楽しく暇つぶしできそうです。